セブ市内から100キロ以上離れた被災地Medellin/Malapasucua/Bogo
「フィリピンの今、現地に在住する23歳からのメッセージ」
連載第二回
「セブ市内から100キロ以上離れた被災地Medellin/Malapasucua/Bogo」
前回は大まかに今回の台風30号Yolanda(haiyan)被災の状況とセブ市内の風評被害についてまとめたが、今回は実際に現地入りをし、緊急支援を行った。
現地の位置関係
場所はセブ島北部の、
Medellin town(メデリン)
Malapascua island(マラパスクワ)
Bogo(ボゴ)
の3ヶ所。いずれもセブ島の最北端で、日本の報道だけでなく支援の中心から外れている地域である。
こちらはGoogle Mapに情報を追加したもの。下に見えるのがセブ・シティとマクタン島、
セブ島北部にBogo・Medellin town・Malapascua islandと順番に続き、被災地として多く報道されているタクロバンは右上。
縮尺はセブ・シティからマクタン島までが約10キロとなっている。メデリンまでが距離にして約100キロ強、道のりにするとその2倍はあると思われる。いかにセブ・シティ及びマクタン島と被災地が遠い場所かということがわかる。
今回筆者はJATIC - セブ日本人観光協会の一員として現地入りした。
この協会には旅行会社の他、ホテルなども所属しており、多くの関係者が緊急物資支援のために朝6時にセブを出発。
セブ・シティからセブ島最北端の町ダーンバンタヤンまでは片道3時間と想定されていたが、悪路や渋滞も伴って行きは4時間、帰りはなんと7時間弱を要する長丁場となった。
1,Bogo〜Malapasucua island
まず到着したのは2時間半ほどかけて到着したBogo。ここは長距離バスの休憩所の風景だ。
強風によって倒された木々が、一週間経過して枯れている様子、また住民が支援物資や生活の脈となる道路を整備したため、倒木が道路脇に積み上げられている様子がわかる。
Bogoはサトウキビの生産地として知られる地域で、見渡す限りサトウキビが生産されている様子が幾度か道中で見受けらたが、一部は同じ向きに倒れ、まるで大きな生き物が通り過ぎたような爪痕が残っている。
サトウキビといえば日本では沖縄が有名で、主に砂糖を生産するための植物として知られているが、ここでは現地の酒だけでなくその植物自体の繊維の強さから民芸品の材料としても使われるそうだ。
Bogoは山中にある町で、産業のほとんどが農業か畜産業と思われるので、簡易な小屋や植物が風によって相当な被害を受けたものと思われる。
ダーンバンタヤンまでの車窓はひたすらに家や木が倒れ、壊れていた。
その中でも特に印象的なものがこちら。
大きな木が倒れているが既に木の先端が切り落とされていて現地の住民がここ1週間だけでも確実に復興に向けて動き題していることがわかる。更に写真の上部を見ていただくと看板がぶら下がっている。少し見にくいのだが、この看板には「We need food and water」と記されている。
何かしらの訴えを記したバナーを持った人々が日中は道端に無数に立っており、車が通る度にちょうどヒッチハイクのようにそれを掲げて緊迫した状況を訴えている。今回のような被災地に対しての緊急支援を行うときの注意点の1つに支援物資の平等な提供がある。力あるもの、要求するものだけが物資を受けとることができる一方で、性格上このような行動ができなかったり、何らかの怪我などで要求を伝えられない人には支援物資が届きづらい。支援物資の不平等は文字通りの意味から派生して、不平不満を産み、地域の状況悪化にもつながりかねないので注意が必要である。
こういった問題を解消できるのは支援側であることが多い。緊急支援を行う場合には事前に地域のリーダーに町の名簿の提出を求め、一人あたりの物資のセットを作った状態で持っていく。そして指定した時間・場所に集まってもらい、名簿を読み上げて1人づつに渡す。緊急時だからこそ支援側はこのような細やかな対応が求められる。
Bogoから1時間半ほどでセブ島最北端の地、ダーンバンタヤンに到着する。
この街はMalapasucua islandへ向かう船の発着地がある町で、港町の雰囲気が漂う。
1枚目の写真は発着所の近くの建物。屋根が大きく崩れ、風の威力を物語っている。
2枚目は1枚目から90度右に向きを変えた場所で、トタンの屋根が風によってめくれ上がっている様子が見て取れる。またBogoからダーンバンタヤンまでの道のりでは、少なくとも2つの小学校と1つの高校が被害を受けていて、校舎の大部分が倒壊もしくは破損している。
ここからJATICは物資を現地の漁師船「バンカーボート」に積みMalapasucua islandまで約30分乗船。
2,Malapascua islandでの緊急支援
Malapasucua islandはセブ島突端より更に先の離島で、美しいビーチが有名な隠れた名所。その美しさは多くのリゾート好きには知られたところで、インターネットなどで検索していただければ輝くビーチがご覧いただけるはずだ。
そんなMalapascuaの現在の様子は、「緊急支援を必要とする離島」に様変わりしてしまっている。
この島ではバランガイ(フィリピンの都市構成の最小単位)が1つしかない。
日本っぽく言うと「Malapascua島にはMalapascua町しかない」というような状態だ。
ただこのバランガイの中には4つほどの任意と思われるグループがあり、船ごとにそのグループが住んでいる浜に上陸しての緊急支援となった。事前にグループのリーダーにコンタクトを取り、ネームリストを作成・提出してもらい、それに従ってこちらが物資セットを用意し持参するような流れになる。
物資配給は大きなヤシの木が折れた静かな浜で行われた。
上3つの写真が各家庭向けに事前のリストを利用して準備した均等な配給、一番下は子ども用のビスケットの配給の様子。
台の上から配給を受ける人の名前を大声で呼び、10人程度で列になってもらって配給していく。受け取る人の様子が様々だったことが筆者は個人的にとても印象的であった。
貰う前から嬉しそうな笑顔を浮かべている人。
伏し目がちに受け取ってそっと帰っていく人。
感謝の言葉「salamat」を何度も口にしている人。
今にも泣きそうな顔をしている人。
もらったビスケットをすぐ口に運んで走りだす子ども。
緊急支援の場合、物資を受け取る側のバックグラウンドを1人づつ正確に把握することは非常に難しい。
それぞれに被災状況が異なるため、心のケアとまでいかなくとも、掛ける言葉にも気を使う。
また物資の支援は同じものを大量に送るだけでは実際は不足してしまう。
第一陣の支援は多くの場合主食と飲料であることが多いが、その後はビタミン不足による病気の発生や治安の維持、インフラの整備等による生活の復旧など時間が経過するにつれ必要とされるものが変化してくる。
筆者の属したチームはもう1つのグループにも緊急支援を行い、Malapasucua islandを後にした。
3,Medellin town
MalapasucuaからMedellin townまで向かう道は、Bogoからの道よりもやや状況が悪かったように思う。
バナーを持つ人が増え、家を失った人々が路肩で座って集まっている。Bogoと比較するとNGOがやや支援に入っているようで、時よりしっかりと装備した他の国のチームの姿も見られた。
筆者は仕事上ほぼ毎日マクタンの国際空港に行くのだが、国境なき医師団などの国際的な規模の団体のチームがセブ入りしていることは目にしている。しかしセブ島北部に入っているかは確認できていない。いずれにせよ、セブ市内から遠く離れたこのエリアの情報を正確かつ大量に持っている人は未だに少ないと思われる。
JATICがMedellinの集会所に着いたのは、午後5時前後であったと思う。
到着時はまだ日が暮れかけていたが、物資配給が始まった頃から急激に暗くなった。また配給が非常に忙しかったため、この場所での写真は少ないことをご了承頂きたい。
ここでも同じ要領で均等に物資を配給した。
大きめのロウソクとマッチも合わせて渡していたのだが、暗闇の中で小さな子どもたちがもらったばかりのロウソクに火をつけ、支援側の手元を照らしてくれた。
大柄の男性が筆者に向かって「私たちのために動いてくれてありがとう。助けようと思ってくれてありがとう。」と声をかけてくれたが、その声は体に似合わずとても小さかった。
私たちが今被災地にできることは大きくないが、それぞれの組織が役割分担を明確にしていく必要がある。国際的な規模の団体が大規模な緊急支援を行う一方、緊急の段階が過ぎると精神面のケア、インフラの復興、復興計画全体のアシスト、草の根レベルでの人1人に対しての継続支援など、時間が経過すればするほどその内容は多様化してくると思われる。
現地に在住している人間としては、勤務の間を縫ってできることを考えていきたいと改めて感じた。
次回はセブ市内の風評被害についてもう少し詳しく触れてみたい。
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